精神科医師


<勤務形態>
常勤または非常勤

<給与>
常勤年棒 1200万~1800万 
経験優遇いたします

<メッセージ>

院長

人間にとって「仕事」とは何か、「働く」とはどういうことか、最近よく考えさせられる。
この数年間、企業でボロボロになりながら働いてうつ病になった人を診る機会が増えた。「過重労働」と呼ばれる過酷な労働環境が、神経系の疲弊をもたらし様々な症状が現れる。眠れない、食べられない、だけではない。その人の存在価値を揺さぶり、家庭にも深刻な影を落とす。
うつ病になった父親が死なせてくれと家を出て行こうとするのを小さな子どもと妻が必死で止める。(もちろん人がうつ病になるのは単に仕事の量の問題ではない。そうであれば私もとっくになっているだろう。また病は、必ずしも否定的なものではなく、危機的、破壊的状況をもたらしながらも同時に創造への契機をはらんでいる。)

その一方で「社会的引きこもり」から今や「ニート」と呼ばれる、働こうとしない、あるいは働くことができない若者が社会問題になっている。
仕事って大変なんだよ、生活していくためには少々嫌なことがあっても我慢しなければいけないんだよ、とは教えてくれても、人間的成長や生きがいを与えてくれるものとは教えてくれなくなった大人に代わって、あるいは教えられなくても気づき感じとる能力を持たない多くの若者に、新しい仕事の考えやスタイルを示して見せたかに思えたあのホリエモンも、今や若者たちにはどのように映っているのか。どの業界の人と話しても、新人社員君たちの仕事への態度に『今の若い人たちは』とオヤジ世代のため息交じりの困惑と諦めが聞こえてくる。
いつの時代も大人にとって若者は新人類だろう。若者を嘆く大人の構図は今に始まったことではない。
古い世代の価値観を否定し新しい価値観を作ってきたのは若者である。しかし今起きている若者の「仕事」をめぐる情況は、「過重労働」のような人間疎外の労働様態にNoとは言っても、そこに新しい価値の萌芽は潜んでいるのだろうか。

長い年月をかけて完成のない高みまで技量を追求していくいわば職人の世界は、多くの若者にとっては魅力を失い、就職したばかりの若者が、『この仕事は自分に向いていないと思うんです』と躊躇なく決めつけ、『何が本当に自分に合った仕事なのかわかりません』と引きこもりながら呟く。
しかしこれは若者たちの問題に限局して済まされることなのだろうか。働く大人たちの口から、忍耐と愚痴と倦怠しか聞こえてこないならば、ゲームの中に人生のダイナミズムを見つけ感じようとする若者たちを誰が非難できるのだろう。

私は、働く人のうつ病も、ニートも、1日中パソコンの前で株価の変動を睨んで取引している若者も、問題の根源は同じようなところにあると考えている。
我々にとって働くことは、単に生活費を稼いで家族を養い家のローンを払うこと以外に、どのような意味や意義を持ちえるのか。
仕事はいつからどのようにして生きていくことや人間の豊かさと深みを考えさせてくれる場所ではなくなったのか。

既に障害者の就労を促進することを大きな柱とした自立支援法が動き出している。
精神障害者の「社会復帰」が謳われた時代から、精神医療従事者は復帰すべき社会の在り方、自らが働くことの意味を問うことを疎かにしてきた。しかし、今後もそれらが問われることなしに障害者の就労やら自立やらが目指されるならば、それこそ我々の仕事は「虚業」ではないのか。

医療や福祉の大きな変革期にあって、実は問われているものは、障害者であろうと非障害者であろうと、我々はなぜ働くのか、人間にとって仕事とは何かということである。そこを考えることから始めなければいけないと考えている。

<お問い合わせ先>
eメール murata@fukuroda-hp.jp
担当 村田